究極的にはいらない
実際の発話例とその文脈、文意(対訳)さえあれば習得可能(という話を耳にする)
疑問
ルールの獲得を無意識下のアブダクションに頼った場合と言語化された解説に頼った場合で言語習得の過程や結果に差異はあるのか?
- アブダクション
- 内省できる
- 解析できない
- 文法学習
- 内省できない
- 解析できる
仮説
- 文法学習によって理解した文法項目を自身の発話に利用できるようになるために必要な訓練(時間)がアブダクションに頼った場合と同等ならば文法学習に頼る必要はない
- アブダクションによって獲得した文法項目を自身の発話に利用できるようになるために必要な訓練(時間)が文法学習に頼った場合と同等ならばアブダクションに頼る必要はない
あると便利
学習過程で文を解析するのに役立つ
聞いて直ちに意味がわからなかったとしても解析して意味を取ることができる
理解度の境界がわからなくなる
なまじ解析できてしまうため、言語的に直接解釈しているのか、解読しているのかわからなくなる
何が身についていて、何が身についていないのか
何がわからないのかわからない状態に陥る
→ 流暢性の錯覚